ウラン精製工場の臨界事故や食品工場の病原菌汚染など現場の基本に関わる事故が次々と起きている。例によって、あらを大小に関係なくつぎつぎ見つけて当事者をよってたかって叩く儀式が行われている。ここが杜撰、あそこも悪いとトップを叩くだけでは世の中の進歩がない。実態はよく分からないが、筆者は我が国の社会構造が抱える問題が出ているような気がするとともに、これらの現象に二つの大きな影がオーバーラップして見える。 それは組織内の責任分担と社会システムの問題である。
この分野の専門家でないのでおかしなところが多いと思うが、人の振り見て我が身を直せで、問題提起させていただいた。
1,組織内の責任分担
どんな組織でも、人材の重要性は古来から認識されている。
工場などの実業部門には、つい最近までどこの現場でも鬼軍曹と呼ばれるような長年そこに従事してきた生き字引の人が居たように思う。彼らは給料は安かったが企画部門や本社から言われることを現場に合わせつつ苦労して技術革新してきていた。このなかで現場で受け入れられないものはきっぱりと断っていた。現場での権限と責任を持つ人材が存在していたと考える。
しかし工程の自動化やコンピューター制御により熟練工があまり必要でなくなり、アウトソーシングの実施などによると思われるが、こういう人が最近どこの現場でも居なくなってきていることがある。また生産基盤の海外移転によって、国内工場の位置付けも大きく変わっている。熟練工の腕を数値化することにより機械で精度のいい仕事はできるようになったが、数値の意味や根拠が分からなくなっている。人の変化によって、従来は現場に任せて当然であった、深い経験や、人材の育成による高品質の確保が危うくなりつつあると考える。
日本の社会はこれまで御神輿担ぎの精神で成り立っていたところがある。御輿は一所懸命かつぐのも、いい加減にぶら下がっていてもわからないが皆が頑張ればそれだけ元気になる。あまり細かいことを言わないで皆で頑張ろうやというような世界であった。(注ー参考例)従って組織内の権限と責任の所在がはっきりしていない。個々の人の責任範囲を決めていったり、頑張った人に対して業績報酬を与えたりというシステムとは遠い存在であった。
コストダウンの至上命令のもと、集団意志決定のシステムは変えないで責任の所在がはっきりしないままに現場の発言が弱くなっていき、中央の指示に逆らえず従うだけというような感じになりつつあるのではないか。中央も、昔のように現場を経験してきて、その中身を把握していた状況から離れつつあるのでないか。これによって危険になるのが安全性や品質信頼性の問題である。リスクが大きくなったからといって現場ですぐ障害が出るものではない。現場の権限が弱くなることは、責任も少なくなると言うことである。しかし現場の知識がない中央の組織で現場の作業が適正に行われていることをチェックすることは容易ではない。信頼・協調社会では、高い倫理観のもとに目的意識をはっきりさせ、分かち合い、互いに尊重し合い、理解し合うことが不可欠である。
協調社会のなかで、実態的に共有されていた権限と責任の重要性を、変わりつつある今の組織でも尊重し、必要な部署に持たせることが重要であると考える。
2,信頼関係から競争社会へ
我が国の社会システムは相互の信頼関係でこれまでいい仕事をしてきていた。工事契約書や仕様書がおおまかであるのはその表れである。工事で信頼関係があれば発注側が優れた施工者を選んで、設計の見直しをしたり、現場に見合った工夫を適正な価格で実施することができる。最も適した人が適正なコストでやればいい工事が経済的にできる。この社会で効率的に仕事を行うため、目的意識の一体化や高い倫理観が求められる。
しかし競争の少ない社会は社会主義国に見られたように大きな非効率を生みやすい。
家電製品や自動車に見られるように会社同士の競争で性能向上とコストダウンが著しく進歩し国際競争力が増した。
一方競争社会では別の課題がある。それは評価とチェックである。商品のように評価がわかりやすいものはいいが、工事のように仕事の中身が一つ一つ違うものが難しい。
厳しい競争の世界では仕様書や契約書の範囲で最低の費用でできる者が仕事を実施することができる。この結果、いい仕事をするより、いかに手抜きしてかかる経費を少なくするかが求められる。品質低下を防ぐため競争の世界で必要なのは仕事に対するしっかりとした定義(仕様)とチェックシステムである。非のない仕事に向けて審査、監査などチェックを適正に行うのは膨大な人手がかかる。金融システムの透明化が大きな問題になっているが、これに当たって数が少ない金融会社に対して、専門の検査官を数百人単位で増員しなければならないそうであるがこれを例示している。
事故があるとチェック体制の整備がうんぬんされるが、専門家がいなくて具体的、建設的なチェックができないチェック体制はかえって大きな非効率になる。例えば事業の監査で、具体的な改善策を言わず赤字だから改善しろというように、さんざん調べて当たり前のことしか勧告しないことは監査の対応など高価な人件費の浪費である。
海外の建設工事で聞くのは、設計書と仕様書のミスを徹底的に探し、設計変更を考えつつ、適正な価格より大幅に安く落札して、工事実施段階で発注者にクレームを申し立て、結局高い契約にしてしまうというものである。仕事の善し悪しより、いかに仕様の範囲内で安く仕事をするかが主眼になってくる。
公共工事は商品と違い、比較の対象がないためその善し悪しを評価することは大変難しい。仕事のチェックはやはり仕事をした当事者が責任を持って行うのが効率的である。検査システムでは現場の理解の勉強など適正に行うとすると多数の人手が必要になる。