逆転の思想−98        目次
              水道公論2011年 2月号


  信頼社会の崩壊
 つい最近まで、特急や飛行機で遠くに出かけるときに、東京駅や羽田空港までの都市鉄道の遅れの可能性を意識することはなかった。しかし昨今では、時間的余裕をもって電車の運行状況を確認するようにしている。運行停止の頻度が高くなっていて、利用している地下鉄の運行異常をすぐに知らせてくれるメールシステムがありがたくなっている。事故などが多い地下鉄東西線沿線に住んでいるせいかもしれないが。人身事故だけでなく、車両故障、信号機故障など鉄道の信頼性低下が著しい。この前、すし詰めの列車にやっと乗り込んだところ、いつまでたってもドアが閉まらず、そのうち先の駅で車両故障があった関係で全員おろされることになってしまった。予測ができないこういう場合は何とも仕方ないが。
 以前参加した海外ツアーで、静岡からの人が、新幹線が遅れて飛行機に間に合わず、幸い同じ日のあとの便に乗ることができてツアーに合流できたが、高い飛行機代は払わなければならず、次回から必ず成田で一泊するとのことであった。
 ほかにも至る所、身近な世界でも任せて安心という世界が崩れつつある。
 母親の代わりに、時々病院に一月分の薬処方箋をもらいに行っていたことがあった。様々な持病のため、飲むのが苦痛なくらい薬の種類も沢山で、前もって毎食後に飲む分だけ小分けしておかないと分からなくなってしまう量である。
 薬が少なくなってきたので、病院に行き、待たされてやっともらった処方箋を、たまたま以前に薬局店からもらったリストと比較したら、違っていた。受付で、前と違う旨申し出たら、コンピュータでそうなっているといわれ、薬局のリストを見せたら、薬剤師が間違えたのではと切り返された。人よりパソコンの中のデータの方が信頼できるらしい。薬剤師が間違えるはずないといっても、薬局店に電話などしていた。鞄のなかを探したら、幸い少し前の処方箋の写しがあって、それを見せたところ、しばらく待たされ、処方箋が訂正されてきた。理由を聞いたら、パソコンを入れ替えたとき、データ入力を間違えたらしいとのこと。薬の量が違うと分かりそうな気がするが。
 点滴を間違えてニュースになることがあるが、病院はどこも厳しい経営で、仕事のミスが危険な事態を引き起こす可能性が高いのに、多忙でチェックがろくにできていないところが多い。その上、医療の進歩で作業がますます複雑になっている。処置を間違えたり、別の患者の指示書を渡されたり、いろいろなミスが病院で日常的に起こっている。商店などでレジでお釣りを間違える頻度も上がりつつあり、確認しなければならない。
 こういう信頼できない世界になりつつある現在、時間がかかるが、チェックすることが必須になってくる。また複数の鉄道が使えるところに住むなど、安全対策を強化していかなければならない。お金もかかるようになる。