逆転の思想−96        目次
              水道公論2010年 11月号


  漢字の憂鬱
 常用漢字が、1945字から2136字に増えることになった。これは文部科学大臣から文化審議会に諮問があり、国語分科会で検討され、答申が出されたもので、今後内閣告示がなされる予定である。
 常用漢字は公用文書、法令、新聞など一般の社会生活において使用される目安とされる。古くは大正12年に1962字が発表されていて、その後数はあまり変わっていない。
 今回の改訂の背景の一つにはパソコンのワープロ普及がある。変換で難しい漢字もすぐ文書に組めるようになった。ワープロで使われるJIS漢字は第一水準、第2水準合わせて6355あって、第3、第4水準まで入れると1万を超えるような漢字がワープロの普及で簡単に使えるようになっている。
どんな常用漢字が増えたのか見ると、大阪の阪(固有名詞専属なのではずされてきた)、爪、丼、鶴、亀など「入ってなかったのか」、というのも多いが、鬱、曖昧、蔑、氾、彙など、どうかというのも多い。鬱という字は大変難しく29画もある。かなで書いたら「うつ」で合計3画しかなく、昔だったらそんなに使われないが、ワープロで一瞬で変換してくれる時代となって、使われる頻度が上がってこうなったようである。
 日常使われる書体としてみるとこうなるかもしれないが国際化の観点からはどうかと思う。教育の基本は国語の習得にあり、読解力、表現力を早くしっかりしたものにしなければいけない。難しい漢字や表現を辞書引きしたり、憶えたりする手間を、文章の理解や構成の力をつけることに振り向けるべきである。日本が今後経済力を保持していくためには、国際化が必至で、英語教育を強化しなければいけないのに、覚えなければいけない漢字が増えるのはどうなのだろうか。本来かなで表せるのだから、少なくしていいはずである。英語が世界語になりつつあるのは習得があまり難しくないということもある。英語を社内公用語にする会社も出てきている。
総理大臣が読めない漢字があったと話題になったが、国会の演説で、総理大臣も読めないような難しい言葉を使う方に問題があると考える。
 日本語を守ろうという考えからいうと、できるだけ簡単にするのには反発も大きいだろう。しかし、一方で、外国語からきたカタカナ語がものすごい勢いで増えて日本語がどんどん変わりつつあり、かっこよく見えるためか、メディアがそれをあおっている状況がある。外国語とカタカナ語の意味が一致していれば、翻訳や英作文に便利で好ましい。
 国際社会への対応のために、一般文書から漢字を大幅に減らすこと、そのまま国際的単語として使え、英単語の習得を楽にするようカタカナの運用をもっと厳密にするなど、日本人の将来を考えた、方向付けが必要と考える。