逆転の思想−94        目次
              水道公論2010年 9月号


  災害のリスク
 阪神淡路大震災で多数の人が倒れてきた家具の下敷きになって命を失った。狭い家では、建物にどんな耐震策をとろうとも家具が安全でなかったら倒れてきた家具によって多数の人が死亡する。
 また、建物が難燃材でつくられ、非常階段など、防火設備が贅沢に設備されていても、ガスコンロのそばに燃えやすいものをいっぱい置いて、避難通路を倉庫にしていたら、火事のリスクは著しく高くなる。
 個人の住宅では家具の地震リスクは個人に帰するので仕方ないが、居酒屋などで火災リスクが高いのは困る。消防法で通告して立ち入り検査をするシステムはあるが、どれくらい実施されているのだろう。
建物を作る際には火災に対して極端なほど安全を要求されるが、日常の運用が悪かったら何もならない。大きな事故があると、設置規則が厳しくなり、良心的な人に負担がかかる一方、日常管理のチェックが行われないのでは、危険性は減らない。
 江戸では、度重なる大火事が記録にも文学にも残っているのに、燃えやすい建物が依然として作られていて、明治になっても、その慣習が踏襲されたのか、関東大震災で大規模な火災が起こって、多数の死者が出たのに、防火ということを重要視しなかったため、東京大空襲で悲劇を再度招くことになってしまった。
 ロンドンでは過去の大火事の教訓から、石造りの建物となって、火事に対して安全性が増した。
 もっとも、ドレスデン爆撃のように、石造り建物が多い都市でも、強力な破壊力を用いた空襲があったら、同様に火の海になってしまうこともあるのでそこは難しいが、家をより安全性の高い耐火構造にしていたら10万人もの死者を出さずにすんだのでないだろうか。
 我が国では、戦後、震災対策として、建築基準法が強化されるなど、火事は江戸の華などと諦めていた頃よりは進歩して、構造物の強度は非常に厳しく規定されているが、大都市圏への過大な人口集中に対して、人口分散の努力は一向にされていないので、地震のリスクは大きくなっている。
 情報の集中も怖いものがある。遺跡を発掘して博物館に収容するのはいいが、博物館が破壊焼失してしまったら何もかもなくなってしまうことになる。我が国の書籍、文献は国会図書館に集中して保管されているが、強固に作ってあるとしても、イラク戦争で使われたような現代兵器で攻撃されたら、徹底的に破壊され、何も残らない事態となるであろう。従って、早期に電子化して、どこかにバックアップしておかなければいけない。平和々々と唱えていたら、平和が保たれると思っているのはとんでもないことで、戦災も災害として考えておかなければならない。
 災害リスクは多面的に捉えて、弱いところがないようにしていかなければならない。災害は忘れた頃に思いもしないところにやってくる。