逆転の思想−93        目次
              水道公論2010年 8月号


  実務能力の低下
  しっかりとした仕事の方向付けに必要なのは、綿密な調査による事実の正確な把握と、それをもとに英知を駆使した展開ができることである。またこういう能力を最善に保つようにしておかなければならない。政治・外交でこれを怠ると莫大な国の損害につながる。しかし実務作業は、何十日もかけた結果が数行の文書しかないなど、一般に地味で、当たり前のことを当たり前に行うのでニュース性がなく、パフォーマンスを求められる、今の世にあっては軽視される傾向にある。
 実務能力の上で最近、考えさせられるトピックは毒入り餃子事件の調査と口蹄疫の対応であろう。従来日本の警察は、袋が密閉されていて、包装された後、毒を入れることが不可能なので、製造過程でしか毒物を混入できないという主張をしていた。
 真実はどうか分からないが、3月に中国側が毒入り実行犯を突き止め、箱の上から注射していたと発表した後、5月に日本側が袋に細かい穴を見つけたと発表した。国際問題に発展した大きな事件で、きわめて慎重な調査が必要であったのは誰でも分かることであり、調べが簡単な小さな袋であるのに何故穴を見落としていたのだろうか。兵庫では穴が見つかっていて、プラスチックトレーまで傷が付いていたので穴の可能性は十分想定されていたにもかかわらず、千葉では袋が二つもあったのに見落としていて、製造元でしか毒を入れる可能性がないと強く主張していたのだからおそまつの限りで、国際的な信用を一挙に失わせる大失態である。普通の行政機関でちょっとした事件が起こるとなにかにつけ責任者が過剰に追求されるが、重大な過失があったこのことについてそういう話を聞かないのも不思議である。
口蹄疫も初動の措置が遅れ、被害が急速に拡大したとされる。被害も莫大な額になっている。どうすれば良かったという議論ははっきりしないが、一つ、発見直後に地域の交通遮断をしなければいけなかったのにしなかったというのがある。交通遮断という措置をとるのは相当の勇気が必要である。
 最初の発見が遅れ、気づいたときはすでに広範に広がっていた可能性もある。しかし感ずるのはどうも現場力が極端に落ちてきたことと、情報過多の時代で、大事な情報の認識ができなくなっていることである。たいしたことのないことでトップがメディアから聞かれて知らなかったとなると、怠慢だと非難されることがあるので、なんでもかんでもトップにあげないといけない状況になっている。上げる情報が多すぎると重大なことも軽視されることになる。もろもろのことを上にあげてすぐ公開しないといけないので、現場が状況を理解して、独自の判断や措置ができないようなことになっている。また事態を正確に把握できる現場の専門家の権限が弱まっていることもあるのだろう。
 現場を尊重し、権限を与えないと、頭でっかちで物事が的確に進まない世の中になっていくのではないか。