逆転の思想−92      目次
              水道公論2010年 7月号


  国の実行力
 
 最近のいろいろな問題を見ていると言葉が難しいが、国の実行力というか権威が最低になってしまっている感がある。国政上それほど基本的でないと思われる問題できりきり舞いをしている。郵政選挙の時のように、基本的でない問題をメディアに過大に大きく取り上げられてることがあるかもしれないが。ここのところ代表的なのが米軍基地移設問題であろう。安全保障を依頼している軍の基地であるから、誰かが我慢して、どこかに置かなければならないが、これの存続や移転を嫌う地域感情が強く、案ができにくい。
 原子力発電所、廃棄物処理施設なども、狭い国土のなかでなければならないのだから近くにいる誰かが我慢しなければ事業ができないものである。あれだけ存在の問題点が大々的に報道され、関西空港建設に至った、伊丹空港がまだ存続している不思議な話もある。
一方で安全保障条約をどうするなど国政の基本の議論は進まないままになっている。
 世界第2のGDPである豊かな国で感情的な反発が強く出て飛行場問題の整理解決が長引いて、方向付けができないことは、失礼になるから言わないだろうが、どの国もあきれているのだろう。一般の公共施設である高速道路、鉄道、下水処理場などの施設の立地でも皆苦労する。建設が止まって進まないと、社会として大変過大なコストをかけることになる。用地が解決するということは9割できたと同じという実感は、事業実施担当者のエネルギーが全部そこで消耗してしまい、事業の効率性とか、各種の工夫に知恵をつくすことに頭ががまわらないということを意味する。好まれない施設の計画を変更すると何故我々のところに押しつけるかと反対が一層強固になり、問題が長期化して全然進まなくなる。
 また、我が国では立地に関することが中途半端なときに表に出てしまうと、聞いていないという声が非常に強くでてきて、どんなに良い案でも進む話が壊れてしまう。このためクビを覚悟で黒子のようにかけずりまわって根回しする人々の活躍が重要であるが、今の世にあっては難しい。
 公共の資産をつくるのに日本がもたもたして、結果的に高額なコストをかけているうちに中国は日本の一桁、二桁速いスピードで高速交通網などを整備していて、近いうちに次世代のインフラ形成に入っていけるだろう。
 立場を変えれば、まわりを次々に開発して、危険で迷惑だからよそに行けといわれたり、他国の安全を守るため、危険な任務で、わざわざ面白くない遠いところまで派遣されているのにひどく嫌がられるなら、なんだということになる。
 何事も叩きやすいことばかり騒いで、うろうろしてちっとも先へ進まない国と一緒にやっていたら足ばかり引っ張られる感覚になっていくと思われる。
 首脳の話し合いというが、トップがころころ変わる上、何らかの新たな前に進む材料ないし具体的解決案を持たないで会っても時間つなぎにしかならないので、いやがられるのでないか。