逆転の思想−134        目次
              水道公論2014年5月号


  大津波対策の時間猶予
 東北地方太平洋沖地震津波の際、結果的に避難の判断が遅れ、悪い方向に行ってしまった石巻市の大川小学校の悲劇が大きく悔いが残るものとして伝えられている。学校の裏にある傾斜地を登れば短時間に避難できたのに、50分間生徒を校庭に待機させて、どうするか相談していたらしい。裏山に上がる声を強く出していた先生や生徒もいたという。
 しかし責任者であった先生方にしてみれば、津波がそんなにひどいものではないだろうという当時の常識があったろうし、裏山に登らせて生徒が怪我をするかもしれず、その責任もあるので踏ん切りがつかなかったのだろう。
 自覚しているかどうかはともかく大川小学校の先生と同じ立場の膨大な数の人たちがいる。それは東南海地震津波が想定される区域の政治・行政責任者である。生徒にあたるのは何十万人の市民。裏山に逃げる方策は、低層建築の禁止と避難場所となって生活物資が多く残せる高層の集合住宅やビルの強制的建設である。時間的猶予は10年くらいであろうか。この規制をして20年もたてば、街はあまり無理なく安全に変わる。社会的コストも大きくない。原発よりもずっと怖い燃料タンク等危険物の万全な対策もしなければならない。
 電線が残るなど津波自体の破壊力はそれほどでないが、押し流される軽量の家屋や自動車、船などが街を破壊するもととなる。鉄筋コンクリートの建物ばかりであったら、流されるものは極端に少なくなる。瓦礫も大幅に減る。
 津波が想定される時、階段を上がるか隣の建物の上に避難するだけなら気楽に避難できるだろう。今の低層住宅が多い状態では、避難のためだけの構造物をつくっても、少し遠ければすぐ避難する人は少なくなるし、家々が津波で破壊され、生活物資がすべて流された状態ではその後の生活や復旧が大変である。
 下層階だけの被災なら、構造物は残るし短期間に復旧できる。
 東北地方太平洋沖地震による津波被災地域では高台移転や土地のかさ上げなど津波から中途半端に逃げる、多額のお金と長年月を必要とする事業の方向にあるようで、高齢化と人口減少が進んでいる社会を考えると街の成立そのものが怪しくなっている。結局、元の街に戻ってしまうかもしれない。
 大川小学校の先生方に津波の怖さが認識されていたら、迷いなく裏山への避難を決めていたであろう。今その立場にある多数の人々がいる。大川小学校のような、悲劇はもう見たくない。津波という世界共通語を生み出した豊かな国が、いつまでも大津波の度に無様な姿をさらすのは恥ずかしいことである。