逆転の思想−129        目次
              水道公論2013年11月号


  公共施設の用地
 本省に在席していた若い頃、下水処理場等の用地をどこまで補助対象にするのか基準作成の課題が来て、作業担当を命ぜられた。
 東京都から出向されていた丸山課長補佐から、できるだけ広く確保できるようにはっきり言われて、図面を集めたり、計画図を書いたりして、大蔵省に説明する資料をつくり、、きちきちにならないように認めてもらった。 補助対象の範囲なのでこれより狭くても問題ない。
 当時、市街地の急拡大によって、処理場拡張が必須になってもできないところが多かったし、また周辺市街地との騒音、臭気、景観などの緩衝地帯も必要であるし、工事の仮設や将来の大規模更新を考えると広さは必要である。土地の私権がこれほど強い国でなければ、必要に応じて拡張でき、そんなに考えることはないと思うが。
 その後広すぎるのではないかと再三ちくちくされ、対応した担当者は苦労されたと思う。しかし、土地は、物体でなく空間の使用権であるから、時間経過とともに価値が減るものでなく、またいろいろなことに使えるものである。
 パリの下水を処理しているアシェール処理場は、活性汚泥法が誕生する前、潅漑処理法を考えていたのか、広大な敷地を確保していたが、今も広大な敷地を有し続けている。
 都市の生命線になる基幹施設は、百年規模の長期的な変化や未曾有の災害に対して支障なく動いていなければならない。大災害があった場合、下水処理場は都市機能を維持しなければならない重要な施設であるので何が何でもすぐに稼働させなくてはいけない。市街地で下水道機能が停止した場合の市民生活に与える深刻さは、大きな災害が起こってやっと理解されるようになってきた。
 地震や大津波などによる大規模被災によって、敷地内の土地を活用できるかどうかで復旧の速度が全然違い、仮設施設等に土地が使えて、復旧事業が困難なものでなかったところがあったことから、今後は広すぎるといわれるようなことはなくなると思うが。
 放射能汚染物の中間処理施設の設置場所について、政府計画案が地元から反対された。放射能は完全に遮蔽できるし、臭いも騒音も出るようなものでなく、国有林など用地が得やすいところばかりだったのにそうなってしまった。
 下水処理場用地取得の一部のことしか知らないが、我が国には土地の使用についておかしな思想が、まかり通っていると思う。例えば公共施設用地の取得は、周辺の地域社会をよく探査して、関係しそうな面々全てに内密に話を通しておかないと、適切な場所なのに聞いていなかったと一部の人間が騒ぎ出す。そうなると皆一緒になって反対してしまう。
 公共用地の取得が難しいため、莫大なお金がかかる上に建設速度が極端に遅い。中国が高速道路網や高速鉄道網をあっという間に作っていることをみるとそのひどさが分かる。
 土地の価値というものは土地自体だけにあるものでなく、回りの環境や社会条件によって大きく決まるものである。土地は基本的に皆のものであり、所有者が使わせてもらっているという社会通念が通用しない国は、進化の速度がますます上がっている現代でどんどん取り残されるだけになる。