逆転の思想−128        目次
              水道公論2013年10月号


  汚泥の循環
 昭和40〜50年代、全国の多くの下水処理場で、流入下水の数倍の浮遊物負荷の汚泥が、沈殿池と汚泥処理施設との間を循環していた。下水道事業センターの試験部にいて、処理場の実態現地調査に同行させてもらってこういう実態があるのを教わった。
 汚泥のくるくる回りとか言われていたような覚えがあるが、設計と運転実態が全く異なる状況になっていた。表立って説明することが難しいがなんとかしなければいけない、こういう現場の苦労はなかなか記録に残らない。
 原因は汚泥の質の変化などであったと思われる。当時道路の舗装が進んで、降雨時の土砂の流入が減り、また食生活の向上や水洗化が進んだこともあって、下水汚泥の無機分比率が落ち、汚泥の濃縮脱水性が悪化した。舗装されていない道路は雨が降ると泥水が流れ、水たまりがあちこちにできて靴はどろどろに汚れ、長靴が必須であるのを覚えているのは我々の年代くらいまでであろうか。
 この結果濃縮槽や脱水機が能力不足になったが、設計の標準が変わらなかったため、汚泥処理施設の段階建設を前倒しにして相当増やしたくらいでは追いつかなかった。確か水処理施設の設計標準は沈殿時間を増やすなど、改善がなされていた覚えがあり、汚泥処理施設もより実態に合わせるべきであったと思われるが。
 この汚泥処理の能力不足により、処理しきれない汚泥が濃縮槽から最初沈殿池に戻され、巡回する状況になっていた。
 その頃は、石灰を加えた泥を布に載せ、回転するドラムの陰圧で水分を吸い取る真空脱水機が主であったが、脱水汚泥が布からうまく剥がれないなど運転も難しかった。
 当時合流式の処理場が殆どであり、雨天時の増水分は沈殿処理だけになるので、降雨時の際に沈殿池に堆積した大量の汚泥を一緒に流してしまったところもあったらしい。
 その後、濃縮機、脱水機が改良されて改善されてきたようで今はこういうことはないと思われる。
 汚泥処理施設の設計の基本であるが、建屋も含んで全て設備工事一式で設計し、建設すべきでなかったかということがある。これまで汚泥脱水機などは耐用年数が短い上、日進月歩でどんどん構造が変わる一方、建屋は建設したら長年月持たせなければいけないため、本来構造物はなかに入るものに合わせるものなのに、逆に建物に中身が合わせなければいけないような状態になってきた。これはこれで問題があるだろうが設備工事一式で設計、建設し、中身が変わる毎に全てやり替えていたら施設がもっとコンパクトになり、設計の自由度が大幅に増していたと思われる。
 全国の下水処理場の骨格ができあがっていて今更の議論であるが、はじめからこういう流れであったら、下水処理場の形も相当違ったものになっていたのでないか。
 昔の汚泥処理施設の運転実態など、表向き出しにくい現場の苦労や工夫を記録に残して欲しいものである。