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世界中で使われている活性汚泥法が誕生して百年になる。 19世紀後半に産業化が進み人口の都市集中がおこり、環境衛生上、下水処理の研究開発が急がれていた。パリのアシェール下水処理場は広大な敷地にあり、当初処理効率が非常に低い潅漑法の施設として出発したことがうかがえる。 19世紀末頃は、ろ過など物理化学処理の研究の方が盛んだった。 当時下水に空気を長時間吹き込むと浄化され、このことが重要らしいことは分かりだしたがその後の歩みは遅かった。 米国のローレンス研究所で、空気吹き込み槽と沈殿池を直列につなげて鉄凝集剤と微生物を入れた実験を行っていて、基本的に現在と同じ仕組みであったが肝心の返送汚泥システムが組み込まれていなかった。これを見学した英国のフォーラーが英国に帰って浮遊性生物を利用する研究を始め、1914年にフォーラーの弟子であったアーダンとロケットが 空気吹き込み後の水槽に沈んだ汚泥を貯めて次の処理に使うことを見つけ、これが活性汚泥法の誕生となった。同年にはもうイギリスのサルフォードで日量300㎥のプラントができ、その後次々に下水処理場が建設された。1930年には日本で名古屋市の堀留下水処理場が運転開始している。当時よく先端技術をこなして導入したもので、市街地にあったため今とあまり変わらないような覆蓋も設置していた。 開発以来百年になるのに関連の技術は進歩しても、基本的なプロセスは変わらないというのは自然の理にかなった方法と言うべきであろうか。日本酒の製造方法も装置は進んでいるものの、麹の作り方など基本的に昔と変わっていないと思われ、醸造などバイオテクノロジーの世界はこんなものなのかもしれない。今や世界中の下水処理施設で使われていて、日本でも、下水処理場だけでなく、工場排水処理施設、最近の浄化槽で使われている。 散水沪床法、回転生物接触法など微生物を固定化する処理法もあるが、我が国では長時間かけて処理するオキシデーションディッチ法も含めて活性汚泥法の水量は全下水処理量の99%にもなる。 活性汚泥法がなかったら大都市の様子も変わっていたかもしれない。 これほどありがたい存在なのでNPO21世紀水倶楽部では誕生百年のキャンペーンを企画していて、協催団体を探している。欧州でも百年の行事が企画されているようである。 世界の水や物質循環の中で巨大な存在になった活性汚泥法は百年先にどうなっているのだろうか。これまでの百年基本は変わらなかったので変わっていないかもしれない。 筆者は、下水の質の改変が行われて、活性汚泥がそのままか、ミジンコのような存在を介して魚類などの飼料として役立っているだろうと予想する。 |