逆転の思想−114        目次
              水道公論2012年7月号


  日食観測の環境
 何千万人の人が楽しめる世紀のイベントと期待されたのに天気予報が芳しくなく、見られるかどうか半信半疑の金環食であったが、幸い、思い出をつくることができた。
 日食の記憶がある子供の頃を調べると1955年か1958年と思われ、放課後、我が家で友達とフィルムの真っ黒な部分か、ろうそくの炭をつけたガラス板かで見た記憶がある。当時日食は毎年のようにあった。
 今回は思いもかけない金環食と期待して、早々と日食の眼鏡を買っておいたが、日食前日の日曜にたまたま覗いた大型のスーパーでは売り切れていた。
 当日、朝起きたとき外を見ると雲がけっこうかかっていて、日差しが弱く、時々太陽が一部覗く状況で、期待薄であったが、ともかく一瞬でもチャンスがあるかもしれないと期待して見続けることにした。都内の多くのところでそうだったのだろうが、金環食の時、太陽が見え隠れする雲がかかっていて、時々日差しが出るといった状況であった。
 薄雲の場合、日食眼鏡では殆ど見えない。そのため光が弱いときには肉眼で、少し明るいときはデジカメのディスプレーで、日差しが強くなったら日食眼鏡で見ることとなった。たまたま家族用に二種の日食眼鏡を買っておいたが、遮光度が少し弱い方が見やすかった。金環食の五分間は雲が少し厚かったので肉眼で観測できた時間が長く、またカメラでも撮影できた。雲が少し厚い部分があってそこでは完全に見えなかったことが少し残念である。
 リングがけっこう厚い金環食であったが、薄雲がいいフィルターになって肉眼で無理なく見ることができたということは滅多にない、非常に希なことで、いい思い出になった。
 日食の直前1〜2日前になって、日食の眼鏡で遮蔽効果が薄く、危険なものがあると大きく報道された。しかし遮光度に問題があるとされた日食眼鏡も今回のような薄曇りでは割によく見えたと思われる。一方、日食眼鏡は、日差しが強い状況に合わせているので、雲で光が弱くなっているこういう状況では何も見えない。
自然現象はいろいろなことが起きるから、様々なケースを考えて準備し、臨機応変に対処するのが大事である。はじまる前にはデジカメで撮影しようという気はなく、曇りだったのでカメラを持ち出したが、デジカメを専用フィルターなしのままズームで太陽に向けると、撮像素子に光が集中して溶けてしまう恐れがあるということを後で知った。こういう知識も前もって必要になる。
 月が太陽をすっぽり覆ってしまう皆既日食は2009年に奄美諸島であったが、多くの陸上地点では天気が悪い一方、天気を追いかけたクルーズ船で素晴らしい景色を見ることができた。金環食を見てしまうと、この皆既日食をお金がかかっても見たいという欲が出てくる。