逆転の思想−100       目次
              水道公論2011年 4月号


  生死に関わるとっさの判断
 航空機事故などで亡くなった方にとって、一便ずらしていた場合との差はあまりにも大きい。飛行機が突然落ちてしまう場合は何とも仕方がないが、時として選択の余地がある場合があり、判断が悪い方向に行ってしまうと、悔やみきれないこととなる。こういう経験をされた方の話を聞くことが時々ある。記憶に残る一つは、秋田県庁に勤務していた頃、出口廣光副知事(後に参議院議員)に青森出張に同行したときに伺った洞爺丸海難事故にかかるものであった。
 遭難した1954年9月26日、丁度自治省から北海道に出張されて乗船された。
 洞爺丸は戦後初めてレーダーをそなえた3900トンの新鋭青函連絡船で、、一月前の北海道国体の際、天皇陛下が乗船されている。
 当時台風が来ていて多くの連絡船が引き返したり、運行を延ばしていた。夕方になり風がおさまったので函館を出航したのが18時39分。ところが直後に嵐が強くなり、19時1分に函館港外に錨泊したが、錨がきかなくなり、エンジンが水につかり停止して操船不能になってしまった。22時43分に浜辺にやっと座礁させたものの横波で満載の客貨車とともに横転し最後には最悪の裏返しの状況に。洞爺丸だけでなく、函館港外に錨泊した連絡船のうち4隻が沈没し、乗員276人が亡くなり、連絡船の構造上の問題が浮き出た。
 出口さんは甲板にいて、おかしい状態になったとき、もうだめだと傍らにいた女の子を連れて海に飛び込んで二人とも助かったとのことであった。武道の段位合計33段もあった人で体力があったろうし、確か泳ぎにも自信があり、浜辺が遠くないことを見ておられたのだと思う。
 多くの乗客が安全と思われた船室にいたことが死者を多くした原因の一つでないかと言われている。結局 1155名の方々が亡くなり、生存者はわずか159名であった。海岸に近く、浮いてさえいれば、砂浜にたどり着き、助かる可能性があった。
 他人の子供を連れて海に飛び込むかどうかの判断は難しいものだったろう。天皇陛下も乗られた新しい大型船で、座礁したと船内放送があったそうで、その後横転し、逆さになるようなことは考えにくかったと思われる。
 もし船が横転していなかったら、あとになって向こう見ずに飛び込んだと非難されるのは必至である。こういう状況を考えると、良く思い切ったものである。
 とっさの判断で、うまくいけばいいが、悪い方に転んだら、死んでも死にきれないこととなる。特に自分の意向に反して、他人の指示で悪い方に行ってしまった場合は最悪である。
 こういうとき、なるべく正しい判断ができるように見識を磨いておかなければいけないが、結果的に間違っていても自分で判断することが大事なのだろう。
 人生で、こういうことには遭遇したくないものである。