逆転の思想-79
              水道公論2009年 6月号


  日本発のニュース
 
 外国のメディアに日本のニュースが載らないとよくいわれる。それも大事故とか、大地震とか悪いニュースばかり。この原因として我が国の報道内容の貧しさもあるのではと考える。その1つが大きな政治上の議論について些細と思える事象を、ことさら大げさに取り上げることがある。
 数年前社会保険法の大改正があった時、国会審議の中でで社会保障の根源の議論が表に出ず、閣僚や議員が過去に社会保険料を払ったかどうかという末節なことばかり報道された。一方でこの法案は多数の欠陥があったのに法案作成者、審議する者、誰もこの単純な大ミスをチェックできなかったが、責任問題の議論もされず、また後で官報で多数箇所の修正告示をするというおかしな後始末が小さくしか報道されなかった。法案の作成やチェックには多数の人が関わっていて、かかる経費も多額であろう。法案の条項の致命的なとんでもないミスは、残念ながらマイナスのイメージであるが、大ニュースであったのに。
 社会福祉はだれがどの程度負担するかというバランスの問題である。一方に良ければ片一方の負担が大きくなる。何事にも差し障りのない八方美人では基本的には何も言えない。
 今回の不況対策の審議でも、国民給付金の額や、景気刺激方策で何がいいのかという基本議論よりも、高所得者層をどうするのかとか、閣僚が受け取るのかとか、本質からはずれた小さなことで大騒ぎしていた。総理大臣に受け取るのかどうかとしつこく質問がされていた。こういうことは常識から見ると報道する価値が全くない。
 政治的な重要問題で、末節なことしか報道されないのは、基本議論についてどうあるべきとかこれがおかしいなどの報道スタンスを取りたくないからなのだろう。基本的な問題に入らず些細なことばかり大騒ぎすることは、無責任というか、世の中ををいたずらに混乱させるだけである。こんな騒ぎに国政に取り組んでいる人々を引っ張り出すのはやめてほしい。
 有名タレントが泥酔して深夜、公園で裸で寝ていた事件で、逮捕もどうかと思うが、誰にも危害を加えていないのに大事件の犯人が捕まったように大騒ぎするのも理解できない。
 また各種の珍しい事故のことがある。騒ぎになりそうな事故が起こると単純ミスによるものであっても、連日どうすればよかったとか、責任はどこにあるのかとか、死者が出てるのだから組織の長が謝りに行くべきだとかの報道ばかり。
 阪神淡路大震災発生後しばらくの間、自衛隊への出動要請が遅いとか、何時したのかなど末節なことが大きく報道されていたことが思い出される。大災害対策がどういう組織で、機動力をどう使うかなどが大きな課題であるのであるが。
 諏訪湖流域下水道の汚泥処理工程から金が出て、金鉱山のようになっているという明るく面白いニュースはあっという間に世界に広がる。国内大手メデイアよりも海外の方が早いくらいであった。