逆転の思想-74
              水道公論2009年 1月号


  内需比率と経済構造
 
 資源のない国が生きていく上では工業製品、観光など付加価値の高い売り物がなければならない。これまで日本は同じように資源の乏しい台湾や韓国に比較して内需比率の高い国といわれてきた。
 つまり、輸出で所得を増やすことに比べ、国内消費によるお金のまわりが大きいということである。内需とは自国内の需要のことであり、建設、、衣服、各種サービス、食料品、電気製品などであろうか。
 輸出一辺倒でなく、内需の拡大が叫ばれている。しかし実状を見ると政府に金はない。世界経済の大乱調によって今後どうなるか分からないがこれまで企業の収益は上がってきた。しかし社員の給料増などには行かなかったようである。人件費が抑えられたのは、厳しい国際競争で追い上げられているからで、それでは消費が増えるはずがない。給料が増えなくては新たな消費はなされず、内需の振興はなかなか難しい。
 考えてみると日本の内需比率がこれまで高かったのは、競争相手が少なかったため、輸出で稼いだお金を内需に回せたためではなかったのだろうか。
 日本の産業が成長するまで、欧米の産業が世界を支配し、もっと沢山のお金を稼いだのだろうと思われる。この多額のお金が資産や内需にも行っていた。
 現在中国などに追い上げられ、輸出もぎりぎりの採算になった。付加価値が少ししか付かない。売り上げが確保されても社員の給料を上げるまでいかない。設備投資も海外に行ってしまう。
 過去、競争相手があまりいなかった時は、土地投機など不労所得に相当行ってしまったし、公共事業、農業の保護などの内需に回せた。しかし今後はそうはいかないだろう。
 経済発展にはインフラ整備が不可欠である。日本は戦前に鉄道を整備し、道路、下水道などについては、高度成長時代に苦しい財政のなかで投資的経費をできるだけ確保することが守られ、お金が回せてきた。土地政策の欠陥による高地価、事業の難しさなどで高コストになってしまったが、ともかく整備が進んできた。
 公権力が強く低コストでインフラ整備が進んでいる中国に比較して、他の資源の乏しい新興国は内需に回るお金が少ない現在、インフラなどの整備を加速することはなかなか大変なことと思われる。
 結局できるだけ国内の経済社会を効率化して、少ない負荷価値の中で工夫していかなければならない。
 一方、高齢者の年金、医療など生産性の増加につながらないお金がどんどん増えていく。若い人に過剰な負担がかかるばかりか、国際競争力まで失ってしまうことになる。
 かたや1500兆にものぼる預金が低金利で滞留している。円高や国際的な資金不足状況にある今、このお金を活かして安全な海外投資に回して、高い収益が得られれば、その分内需も増加できるし、社会的なコストにも回せる。
 国政を司る人、国政を云々する立場にある人は、目先の狭いことでなく、基本的なことこそを議論して方向付けしてほしいものである。