逆転の思想-69
              水道公論2008年  8月号


  経済成長と地価
 戦後の焼け野原時代から多くの人が住宅不足に悩まされてきた。東京では宅地の値段がどんどん上がり、住宅に手が出せそうになると思うと地価が上がっていて買えない状態が続いた。この住宅難には両親も自分も長年苦しめられた。戦前は東京でも住宅事情は良く、安い借家が多かったなど安定していたそうである。
 優良な宅地の供給が少ないから曲がりくねった細い農道の農地がそのまま宅地化し、しかも駅から近ければ高額で売れ、経済成長で所得が上がっても皆土地の値上がりに行ってしまうような感じであった。地価の上昇は鉄道などのインフラ条件によるもので、本来上昇分はインフラ整備に還元されるべきものであるがそうならなかった。土地投機にお金のある沢山の人が群がり、バブル崩壊まで、高額所得者の多くは土地売却によるものであった。 土地投機のもう1つの要因が税制であったと考えられる。固定資産税など低く抑えられ、土地を長期間遊ばせておくことができ、投機にうってつけだった。地価高騰による住宅難の影響をもろに受け、ウサギ小屋に住まざるを得ない給与所得者の味方は誰もいなかった。
 高すぎる地価は公共事業の高コストにつながり、財政負担の増加や事業の遅れをもたらした。
 このいびつな状態が続いて壮大なバブルに至り、バブル崩壊という事態までになった。バブルが大きければ大きいほど壊れた時が悲惨になる。
 一生懸命働いていろいろなものを輸出できるようになって得たお金の相当部分が土地所有者に行ってしまっていた矛盾は、サラリーマンの納税負担が大きいという矛盾とともにずっと続いてきた。土地の値段が非常に高くなってしまった現在、これを取り戻すことはできない。
 地価の上昇と所得配分との関係を調べられたら非常に面白いものになると考えられる。
 我が国と同じような大いなる不合理が発展途上国で繰り返されないようになってほしいものである。
 我が国と同じような感じのあるのが中国の高度成長であり、報道では大型のマンションが多数建設されている。エレベーターが良くなったせいもあろうが、我が国の庭なし一戸建て住宅の急増、せいぜい5階建てだった公団住宅とはずいぶん違うように感ずる。
 低密度の市街化の進行は、狭い国土の無駄使いのような気がする。
 中国はまだ社会主義が残っていて公共による土地利用の強制力があるのであろうか。一般に公権力の乱用が非難されるが、開発利益が公平に還元され、優れた街づくりができるのなら後世になってこれで良かったということになるであろう。
 公共事業は非常に高いと声高に非難されるが、そのコスト押し上げの主要因で、一時は広大な米国の総地価より高くなったほど異常な状態にあった土地政策がどうあれば良かったかにについてはあまり批判や議論を聞かない。不思議なことである。