逆転の思想-67
              水道公論2008年  6月号


  便利さの影
 若い頃アメリカに研修で行かしてもらった時に、日常生活で違いを感じて今でも憶えていることが2つある。1つは牛乳やジュースがクオート(0.25ガロン、0.95リットル)の紙パックに入って売られていたことであった。当時日本にはなくて、牛乳は200ccびんかテトラパックであり、大容量の紙パックは豊かな社会の象徴のような気がした。もう一つはレトルト食品などの小さなプラスチック袋が開けにくかったことであり、細かいことを気にしないところなのでそうなのかなと考えていた。
 何十年後、今や日本で1リットルの紙パックは当たり前になっている。
 一方納豆の醤油パックなど何故か各種プラスチック袋が最近開けにくくなり、はさみが身近にないと困る状態になっている。食品容器や包装材の技術は進歩があるのに不思議である。
 便利になっている中でこのように後退していると思えるものもある。すべからく便利になりすぎて遅れているものが目立つこともあるのだろう。
開けるのにいつもいらいらするのはCDの包装である。音楽CD,パソコンソフトCDなどプラスチックのカバーを破るのに苦労するし、一向に改善されていない。この状態がずっと続いている。
 袋の接着材にも苦労することが増えてきた。最近、封筒や写真印刷用紙などはプラスチックの袋に入っていて、袋の空け口の接着剤が悪さをして、中の紙などにくっついてだめにしてしまうことが多い。
便利になったと言われる世の中であるが、大量生産とコスト削減のためであろうか、細かいところに目がいかなくなっていることが多い。
 消費者を置き去りにしていると思える最大のものがカードである。厳しい販売競争を勝ち抜いていくためと思われるが、消費者の囲い込みをするためカードによるポイント制が当たり前になってしまっている。もとからあったクレジットカード、銀行キャッシュカードに加え、スーパー、デパート、電気量販店、航空会社から音楽店、居酒屋まで広がっている。このため一つの入れ物に入らないほど多数のカードを使わなければならないようになった。カードの数だけでなく、暗証番号も沢山になってとても覚えるのは無理で、メモを持っていなければならないようになっている。なんとかならないだろうか。鉄道では、1枚になったが、そのかわり回数券が非常に使いにくくなっている。
 なんでも1枚になってしまうと盗難、紛失の際のリスクが大きくなるのでそこまで行かなくても、入れる場所に困ることがない程度にまとまってほしいものである。