逆転の思想-64
              水道公論2008年  3月号


  安全度の不均衡
 昔の記憶ではエスカレーターは有名デパートにしかなく、店の格をあらわす貴重なものであった。今や多くの駅や駅ビルなどいたるところに設置されている。昨年、子供が壁との間に挟まれた事件が大々的に報道されたということは、これほど設置台数が多くなったのに安全ということを逆説的に示している。この事故を見る限り、普通の乗り方をしていれば安全な施設であろう。
 この事件を見ると我が国は安全への希求がものすごく高いと思われる。しかしそうだろうか。
 混雑するホームや通勤電車がそうでないことを示している。最近人身事故によって不通になる頻度が増えているようである。特にJR中央線などはひどい。遠い出張や重要な会議など大事な用の場合は不通のニュースに気をつける慣習になりつつある。筆者は日頃利用する路線の遅延情報をメールで知らせるシステムを利用している。
 この人身事故についてあまり報道されないので、自殺なのか、事故なのかわからないが、貴重な人の命が失われているのは事実である。殺人事件も起こる。
 地下鉄南北線のようにホームと線路との間に仕切り壁をつくればいいが、利用客が減って乗りやすくなっている丸ノ内線では普及が進んでいるものの、混雑のひどい多くの通勤線には導入されていない。多分、設置すると停車時間が増え、もっと混雑すると想定されるからであろう。肝心なのは、大きな問題と認知されてないようであることである。すぐには解決が難しいが大問題で、何とかならないかという世論もない。経済的なことによって安全性が失われている。この事象を見る限り、日本は人の命が大事にされない国であることになる。
 危険を避けるため、ホームの中央を歩くようにすればいいのだが、できないところも多い。多くの乗り換え駅で乗り換え口がホームの端にあって多数の人がホームを移動しなければならないところがある。ここで階段がホームの途中にあって、通路がその脇の人2〜3人分くらいしかないように狭くなっていて、電車待ちの人がいると白線の線路側を通らなければならないところが多い。ぶつかったりしてちょっと何かあると線路に落ちてしまう危険性が高いところである。しかも乗り換えなどのため、多数の人がここを通らざるを得ない。 伝染病の危険性もある。鳥インフルエンザの新種が恐れられているが、もし東京で感染者が出た場合、超満員の通勤電車は、これ以上ない爆発的な感染ルートになる。
 歩道のない幹線道路なども危険があふれている。
 社会の安全ということを考えると、例えば運送業、システムエンジニアなどの仕事は労働安全の基準を大幅に超えた過酷なものになっていて、過労による危険な事態や、ストレスによる精神障害まで深刻化していると言われている。
 いやでも遭遇しなければならない危険性がけっこうあるのに、珍しい事故で安全が極度に気にされるのは不思議なことである。
 事故の少ない施設の事故が大きく取り上げられて、安全過剰とも思えるようにさせられてしまうのはやめてほしいものである。