逆転の思想-61
              水道公論2007年 12月号


  積算技術を日の当たる世界に
 公共施設の設計担当者はこれまで積算の作業に大変悩まされてきた。作業時間の大半がそれに取られているような感じである。このため、プロジェクト全体の設計・進行・管理に時間が回っていないような気がする。また担当者が非常に苦労する積算作業がどの程度の価値を持つもので、従事者の得た知識経験はその後の各種の仕事をする時に役に立っているのだろうか疑問が多い。
 筆者は積算の知識が乏しく、まわりから見ているだけであるが、今の積算作業があまりにも会計検査に向きすぎていて、市場の公表数値しか根拠にできないなど客観性を強く求められ、独自のデータ作成を極度に排除していること、また計算システムや計数について実態に合わなくなって変更する際、客観的な説明が必要なので昔のままから変えられず、次第に実態と離れていることなどの課題を抱えているように考える。
 こういう背景があるので新たな工法、設備などが登場して明らかにいいとわかっていても、客観的に説明できる積算が難しいのでいやがられるケースが多い。
 世の中のことや、総合評価制度などの仕事の価値を考えると、公共工事の積算はそんなにがちがちに固めるものであるべくもなく、基本的に落札できる金額の大まかな予測であっていいものであると考える。作業の中で積算の細かい作業に極度に時間を取られ過ぎているようなこともある。また官側の一方的な理論展開が、契約社会での公平な設計変更協議にも対処できるものだろうか
 費用の算出作業で経験者の判断というのも大事である。昔お世話になったロスアンゼルス郡の下水処理場設計では、積算はできるだけ細かくするものの、特殊作業、設備など算出が難しいものについては責任技術者の判断として、けっこう高額の一括の費用が入れられていた。
 積算技術については米国が中心となっているが国際的な協会があり、積算、プロジェクトマネージメント、リスク判断など広範囲をカバーしているようである。会員の人に月刊機関紙を見せていただいたが、パイプライン工事のプロジェクト評価手法、住宅建設時の廃木材発生量減少の研究などが掲載されていて学会のような感じであった。
 我が国でも民間の分野が大きい建築部門では積算の協会もあり、普遍的にどこでも使える専門知識としての積算技術が育っているように見える。
 公共事業の積算体系をみるとあまりにも硬直化しているようである。積算専門家の経験による判断が大事にされ、多大な作業時間や神経を使う仕事が経験として役立ち、学問的にも生きるようにしないといけない。土木施設などは現場状況によってコストが大きく変わるので、各種プロジェクトの進行管理で積算技術を活かしてできるだけ正確な費用を押さえることが大変重要である。
 公共事業の積算技術が官側の一方的な理論展開によるものでなく、学問的にもしっかりし、プロジェクト管理に役立ち、専門技術者の活躍できる場となる世界が待たれる。