逆転の思想-55
              水道公論2007年 5月号


  忍耐の訓練
 子供のいじめによる自殺が大きく取り上げられている。我が国では1日約100人もの人が自殺していて、命が大切にされる国とはほど遠く、この問題に真剣な取り組みがなされるのは当然であり、いいことである。
 社会全体の問題であるのに、現実には担当の先生、校長や教育委員会が引っ張り出されて責任追求される単純なパターンが多い。いじめをよく把握してないと非難されているが、複雑でどんどん変化する人間関係を細かく把握するのは非常に難しいし、ますます教職の仕事に専念できなくなる。
 自分の経験で言うといじめは大なり小なり昔からあった。また自殺が多いのも前からである。
 昔と違うことを考えると、1つは先生の権威がなくなっていることがある。昔は親の言うことを聞かなくても先生の言うことはよく聞いた。そういう社会になっていた。今は生徒が先生をばかにするようになっている。先生の権威をおとしめるような報道ばかりのせいだろうか。
 次に、子供がすぐ切れるようになったというのは同感であり、やはり一番感じることは我慢をすることの体得が足りないことでないだろうか。
 これは、少子化、一人部屋で家族兄弟のあつれきがないこと、家事さえも自動化されて我慢して親の仕事を手伝うことがあまりないことなどによると思われる。テレビゲームなど個の世界が主となって、昔のかくれんぼ、野球などにある社会的訓練の場が少ない。友達や兄弟との摩擦やけんかも大事であり、精神修養、痛みの経験などの点で大きいものがある。
 このほか子供を大事にする国民性から、経済的に豊かになると我慢することもさせない、子供の人権が大事と勝手気ままにさせる、などもある。
 こういう社会であるので、人とぶつかるとすぐ傷ついてしまうことになる。また傷ついた経験がないと平気でいじめるようになる。
 大事にされても社会人になったとたん厳しい人間関係にさらされることになる。それまでの人生とギャップが大きければ大きいほど、挫折しやすい。
 したがって、共同作業などでもっと人とぶつかって忍耐することを経験させなければいけない。
 今の社会で思うのは、@安全ばかり強調して、危険性の感覚がない社会。A清潔にしすぎて、病気への抵抗力が落ちている社会。に加えて、B社会的な訓練ができていなくて、人とぶつかることの対応や我慢ができない社会になっていると考える。
 こういう社会を変えていく必要がある。
 このほか、いい子に育っているせいか、失敗を極度に恐れ、新しい未知のものにぶつかっていく気が少なくなっているような感じもする。
 地球温暖化防止から省エネが徹底していた江戸時代が見直されつつあるが、子供の健全な成長という観点でも昔を見習う必要があると考える。