逆転の思想-50
              水道公論2006年 11月号


  認証システムと印鑑

  ちょっと前になるが、メソポタミア文明の展示会で古代の精巧な印章を見る機会があった。石を非常に細かく彫って見事な出来映えであった。結構小さいものが多いように思えたが、印鑑を使うのは商人に多かっただろうから、長距離の持ち運びを考えてこうなったのだろうか。
 古い歴史を持つ印鑑はこれまで東洋で多く使われてきたようである。また組織を代表するものとして優れたシステムである。
 印鑑といえば朱印船を思い出す。幕府の朱印を得た船が東南アジアの貿易を行ったもので徳川家康の時代に30年間だけ行われた。秀吉がルーツらしい。当時明は倭寇のことがあって日本船の入港を禁止していたので、もっと南の国との交易が主であった。
 我が国ではこれまで印鑑の重要性が高く、サインで尊重されるのは大臣の花押くらいのようである。印鑑証明から始まって、住民登録、戸籍登録、官庁に対する各種申告、不動産売買など各種契約と切りがない。
 住民登録など個人の手続き書類で、本人の署名では申請が受付されず、文房具店で簡単に買える印鑑が必須とされる、おかしな現象となっている。印鑑は昔は特注のものであり、すぐ手に入るものでなかったため、貴重であったが、三文判と言われるように簡単に買えるようになって、印鑑証明など、特別な識別をされるものを除いて存在価値が大きく落ちている。しかし、制度変更が追いついていない。住民登録手続きで、どこでもすぐ入手できる印鑑が良くて本人のサインがだめということを説明するのは大変難しい。
 過去のものでは日本画の場合、画家の署名と印鑑の両方が鑑定の重要な要素となる。
 個人を特定する手段は変わりつつある。インターネット時代でパスワード、電子認証、最近は声や指紋なども実用化が進んでいる。 多く使われるようになったパスワードであるが、各種情報閲覧、ホテルなどの申し込み、重要なものでは銀行キャッシュカード、クレジットカード、証券売買などまで広がり、小生の場合、パスワードの数も20以上になっている。結局メモが必要になるが、キャッシュカードやクレジットカードでは、いちいちメモを取り出すとリスクが大きいので憶えておく必要がある。老化とともに記憶力も衰えていくので今後が心配である。指紋認証などの実用化が待たれる。
 個人を認証するシステムはどんどん進歩していくが、印鑑の方を見ると偽札のように偽造技術は進歩していて、このままだと印鑑による認証は消え去ってしまう感がある。印鑑の認証技術の進歩が望まれる。
 欧米型社会では組織としての各種書類の認証も個人が主であると考える。銀行からの手紙、設計図面など、かって憶えのある書類には責任者のサインが入っている。
 連帯責任の概念が強い我が国の認証システムがだんだんなくなっていくのが心配である。
 情報化により社会システムが速い速度で変わっているいま、印鑑に代表されるように、時代に合わなくなってきている認証システムも機敏に変わっていくことが要求される。