逆転の思想-46-
              水道公論2006年 7月号


 不確かな情報の価値

  ちょっと前になるが、たまたまスカイパーフェクTVのBBC放送を見ていたらブレーキングニュース(たった今入ってきた注目すべきニュースの意味か)として福井の原子力発電所の火災のことを繰り返し報道していた。放射能漏れはないということであったが、けっこう大きな事故のように報道していたため、あわてて他のテレビをみたがどこもそんな報道をしていなかった。あとでインターネットニュースで調べたら次のようなことであった。
関西電力大飯原発3号機と4号機の間にある廃棄物処理建屋内で出火。煙が充満し、火災報知機が作動した。63歳と53歳の協力会社の男性社員2人が煙を吸って病院に運ばれたが、軽症。
 これに関連して思い出すのは18年前に技術協力でアラビア半島にいたときである。英語の新聞も入って来ず、外国のテレビが入らない世界にいた。ある日現地の人から、日本で海底火山が爆発したニュースを知らされ、大変ですねと言われた。帰国した後調べてみると、伊豆近海で小規模な海底火山の活動があったが、被害なし。
 海外では日本のことはめったに報道されないため、たまに報道されると大事件に思われてしまう。国内に入ってくる海外のニュースもこれとあまり変わらない扱いを受けているのではないかと思われる。
 報道の対象として取り上げるられるものとして、阪神・淡路の大震災のような大きな事件と、影響は小さいが珍しい出来事が選択される。ところが同じように報道されるため、珍しい出来事が重大な事件のような印象を与えてしまうことがけっこうある。
 情報の正確性のことで思い出されるのは、フォークランド戦争の時、アルゼンチン側の新聞に載っていた、黒煙を上げて燃えているイギリスの航空母艦の写真である。虚偽報道であったが、あちこちに報道された。
 不確かと思われる情報も大事なことがある。公共放送や一般紙が長らく沈黙していた拉致事件のことを考えると、週刊誌などでしか報道されていない記事も相当重要なことがある。拉致事件が確定したあと、新事実がないのに連日トップで報道したのもどうかと思われるが。松井選手の米国大リーグへの赴任の際に二百人の報道関係者が随行したという話を思い出す。また報道されないということの意味や背景も考えていく必要がある。
 一方、一般紙などで一時大きく報道されたUFJ銀行問題であるが、金融庁によって厳しく査定され、非常に危うい状況にあるとされた。しかし、合併の申し込みが相次ぎ、たしか株価は下がらなかった。これは世間の評価は危ないといえないということになる。経営状況が悪くない状態にあるのに意図的に悪くされたようでもある。こういうことを見ていると大きなメデイアの報道も誰かの言うことを鵜呑みにして、偏ったものになっていることもあるようにも見える。
 情報が氾濫する時代にあって、不確かなと思われるような情報も、あり得るかもしれないことと考えていくことが正確な判断につながるものである。