逆転の思想-38-
                水道公論2005年 11月号


 国際化と常識/非常識
 日本の常識は外国の非常識といわれることが多いが、国際化が進んでどう変わっていくのだろうか。
若い人は国際的に考えるようになっている感じがするが、1つ気になることがある。それは海外の教会での結婚式である。多くの若者が海外にでかけ教会で結婚式を挙げている。
 宗教は多くの国で、命をかける戦争まで引き起こす重要な存在である。最近起こっている悲惨な事件の大きな原因が宗教問題に起因している。こういうことを考えるととんでもないことをしている感じがする。氏子になっている神社で、キリスト教の外国人が来て、神主のもとで結婚式を挙げられたらどういう気分になるだろうか。
 外国の人がどう思うかを考えて行動することの配慮が足りないことの批判記事も載らない。
 自分と同じ服を着た人がいた場合の拒否反応の一方、別に悪いことではないが、有名ブランドの非常に高額な茶色のバッグを、皆が持つものという制服のような感覚で持ち歩く日本女性の心理も不思議である。製作工程から考えると桁違いの価格に思える、これらブランド品の制服化により、数千億円という莫大なお金が流出している。
 安全に対する認識も違う。世界では安全は自分が努力して確保するものであるが、日本では平和々々と唱えていれば誰かがやってくれるものという感じが強い。
 国際化が進んでいるのだから、自分の考えを通すということだけでなく、どう見られているかの客観的な判断も重要である。こういう問題認識が少ないのではと考える。
 情報化社会になって、大事故、紛争、珍事などは瞬時に詳細に伝えられるが、ものの見方はあまり伝達されない。
 過去、先住民への侵略の様子を西部劇という映画にして売り込んできた文化もあるから、世界もいろいろであり、こちらが一方的に悪いと言うことはないが。
 一方、人の基本的な性格はあまり変わらないものと思われる。ただ考え方の微妙なバランスで行動が変わってくる。東洋の方が夫婦より家族の意識が強く、子供をより大事にするようである。英国の会社で働いている英国人が海外転勤になったとき、子供を寄宿舎に入れて夫婦で海外に行くことが多いらしいが、日本人は単身赴任が圧倒的に多い。家庭という基本的には変わらないことでも、選択を迫られるなど微妙なことで行動が違ってくる。ニートの問題も、成人しても子供をかまうべき子供として見がちな東洋の考えからくるもので欧州では少ないのだろう。
 外国の報道などのテレビ番組が通訳付きで受信できるなど、編集されない情報も入手できる便利な世の中になっている。国際化、情報化が急速に進む中で、これらの生の情報に接して、地球上の他の人々の思考形態についての理解ができるようになることも重要である。