逆転の思想-27-
                水道公論2004年12月号


 創意工夫と横並び

 昔米国に派遣されていて違いを感じたことの一つは、おなじような施設で隣の公共団体と相当異なる設計をしているものがあったことであった。「隣の市ではでこうなんだけど」と聞いたら、「うちはうちのやり方でやっていてこれでいい」というものであった。
 ロスアンゼルスの広域下水道では最終沈殿地の汚泥ピットを流入側の反対に設けていた。最終沈殿地の汚泥沈降状況を調べて、沈殿汚泥が水の流れと同じ方向にかき寄せされる方が、乱れがなくていいとして、そうなったそうである。汚泥返送の距離は長くなるが。
 日本の場合細かい設計内容まで隣町と違うと、問題となる。大体長所短所がいろいろあってそんなに変わらないものであるが、たいていは設置費がちょっとでも高い方がいじめられることになる。
 実施内容決定の際、各方法の比較が必要になる。ここで緻密に計算して一番安いのが選定されるが、だいたいそんなに差があるものでない。設計者の選択決定でいいとおもわれるものが沢山ある。
 また、新しいことを考え出しても、関係部署へのその妥当性の説明でくたびれてしまい、結局横並びで採用されないことが多い。
 一方で、日本ではどこかで新しいことをはじめて、ニュースになると、多数の問合わせ、見学があり、ほかに急速に伝播していく。他の実施例の情報をできるだけ取り込むのはいいことである。
 設計、事業など、あまり勝手でも困るが、全く同じでは進歩がない。
 現在の大きな問題として言えるのは、設計などであまりにも客観性が要求される状況であることである。設計や積算で、明かなことや、細かいことまでに比較検討作業をさせられ、また客観的なデータを無理無理探さないといけないなど、人と時間の無駄をしているように見える。
 ロスアンゼルスで感心したのが、けっこう主任技術者の判断でこうだと決定されているものが多かったことである。積算など経験豊かな人が感覚で決めることは一番妥当であると考えられ、これが認められると形式中心の無駄な作業が軽減されることになる。
 創意工夫が公共事業でも大きく重視されるようになってきて、提案型の事業などが推進されている。ここでも独自性と横並びの議論がある。それは特許など独自技術に絡むことである。独自技術により1社が他より有利な場合でも、1社だけの応募が嫌われることである。技術の競争といいながら多数の参加が求められるのはどうだろうか。
 効率化のもとである創意工夫を活かそうというなら、社会も変わって設計の自由度、担当者の裁量の範囲をもっと増やさないといけない。