逆転の思想-25-
                水道公論2004年10月号


 法律の複雑性

 大きな問題となって成立した国民年金法で条文のミスがあったとのこと。単純なミスで、44条の中に「前条の規定に関わらず・・・」という条文があったが、43条と44条の間に新たな条文が入ったのに、直さなかったため、前条の対象が別な条文になってしまったとのこと。所管庁、内閣法制局、国会のチェックの中で見落とされていた。途中で法案修正があったこともあるとのことであるが、どうも法律が難解で細かすぎるのでないか。それと運用実務に詳しい年金実務のエキスパートが制度改正作業や法案審議に入っていないのではないかという気がする。
 法律のミスの責任はどこにあるのだろう。これを司る立法府であるはずであるが、そういう声が上がらないのは立法の仕組みがおかしくなっているからなのだろうか。
 法改正が既存の法律の最低限の修正という形で行われ、つぎはぎになり難解で複雑になっているのでないだろうか。単純な多数の誤りに誰も気がつかなかったことなど、様々な問題を引き起こしているように見える。
 条文のミスは、官報で40カ所にのぼる修正で措置されたそうだが、これもどうなのだろうか。
 一方で、本則でない様々な規定のことがある。規制緩和が求められているが、規制は必要であり、複雑なことと、手続きなど合わせて煩雑になっていることが問題であると考える。届け出、登録、報告のことなど相当細かいことまで法律の条文になっているような感じがする。このため、別件逮捕に見られるように、引越後の駐車場の登録など、よく探すと誰でも届け出がないなどの法違反で摘発できるほど複雑で細かい制度になっている。運用も細かく、たとえば届け出の記載項目が多く、本質的でない変更について再届け出が必要などのことがある。
 世の中の変化に応じて変わっていかなければならない法制度であるが、届出、報告など本質でない細部のことまで法律として国会の議を経るとなると変更手続きが煩雑になる。
 我が国の政治行政の課題として、主要な法律が行政側によって作られていることが指摘されている。議員提案は奨励的なものが多く、立法府が独自で実質的な法律を作ることが難しいようである。
 行政法が複雑化しているので、多数の法律専門家でないと作業できないようになっている。改正も大変な作業となり、改正する側にメリットがないと行われない。実態に合わないがそのままになっている法制度が随分あるようである。
 結局立法に行政が入り込んで、コントロールされているように見える状況になっている。細かいことまで法律にしておくと政府機関としては法律に基づいて実施しているのでいろいろ問題があっても責任が来ないことになる。
 民主主義の基本として、司法、立法、行政が各々、チェックしあって、安定した国を維持していかなければならない。
各機関が適正に機能するとともに、分かりやすく、また社会の変化に応じて柔軟に改訂できる法体系形成が求められる