逆転の思想-24-
                水道公論2004年 9月号


 政治と演出?

 年金問題で感じることは、今の世の中には騒ぎたがり屋で気まぐれの強い立場の人々がいて、そして、それに乗っかって、パフォーマンスする人がいて、大多数のほかの人々が振り回されているようであることである。
 重要な年金問題であったが、国民年金の未加入問題で大騒ぎして、結局本論が表に見えなかった。そこだけ報道されるのかもしれないが、法案の中身より、閣僚などの個人的問題を非難することに集中しているようであった。野党側は手っ取り早く非難できる閣僚の未加入問題を追及して身から出たさびになってしまった。騒ぎに乗って、追求すればメデイアに大きく取り上げられ、人気が出るという、パフォーマンス演出に乗ずることはどうなのだろうか。本来法案の中身が問題であるのだが。
 結局、野党はメデイアに乗せられた感がある。国政の基本の舵取りをする国会が次元の低い閣僚や議員の未加入問題で大騒ぎして終わってしまい、大規模な、やらせ番組のようであった。騒動のもととなった個人情報の出所も変であるが。
 騒ぎが将来に大きな影響を持つことでなく、人を引きずりおろすとか、お涙ちょうだいの話ばかりである。個人の未加入問題を非難して進展があるのだろうか。議論してあまり価値があるように思えない単純なことばかり騒がれるようである。年金法案が複雑すぎて全体が見える人がいないのか。それともよく分かっている人が黙っているのか。また黙っている方が得なのか。
 秘書給与の大騒動のときもそうだった。議員が規定違反をしたかしないかのことばかり問題になって、規定に関しての論議があまりなかった。本来、秘書給与は議員が決めて、配分すればいいと思うが。法律規定では国家公務員が出向しているようなことになって議員の意向に合わないことの論議が見えなかった。
 秘書給与を直接渡していないと国会議員を辞めさせられたのに、告訴されなかったことも不思議なことである。これは疑われている人が悪いことをしているのかどうかわからないときに社会的に不当な取り扱いを受けたということでないだろうか。
 世の中のおかしな流れを変えていかないといけない。社会的な問題は見方によって全く異なるように解釈されることが多い。
 インターネットの様々なホームページでは、テレビや新聞と全く別な、社会事象に関する参考になる様々な評論がでている。こういう広い範囲の考えが世間にもっと伝わることが望まれる。