逆転の思想-21-
                水道公論2004年 6月号


 危険性についての習得

 回転ドアの死傷事故が大きな問題になった。同じ頃に遊具の事故が続いた。回転ドアはそのものの危険性、遊具事故は壊れていたという次元の違うものであるが、事故が同時期に起こったことと、子供が被害者になったことで同じような感覚で受け止められる。
 普通の人なら皆回転ドアを通る際にはさまれるという危ない感じを持つ。このスリルによって子供が回転ドアで遊ぶようになってしまうこともあるのだろう。
 話は違うが、遊具について面白さと危険性の相反することがある。遊具の設計でよじ登ったり、早く動いたりして面白いものはどうしてもスリルのある分危険な要素を持つことになる。滑り台では距離が長く、傾斜がきついとそれだけ早くなって面白いが、ぶつかったりすると怪我の確率があがってくる。ジャングルジムは段数が増えて高くなればなるほど魅力が増すとともに落ちると大けがすることになる。子供はスリルを求める。少し高くなったとこがあるとよじ登ろうとするし、幅の狭い水路を飛び越えようとする。そういう経験から身のこなしができるようになり、何がどれくらい危険か判断できるようになる。独り立ちして生きていくための基本の行動である。熊の木登りなど、野生動物は小さい頃から鍛錬し、敏捷になり、危険の察知も習得していく。
 昔はがけ地、小川、荒れ地などスリルのある、大なり小なり危険な場所が身の回りに沢山あって、その中でたまには怪我することはあったがいろいろな経験をして危険を察知し、身のこなしを敏捷にする能力は高められた。今の時代、すべて管理され身近に危険がない世界になってしまっている。
 焚き火でも火がどの程度燃え進んでいくか、火の強さが増すとどう熱くなるかなど、火について感覚的に習得することができるが、焚き火もできない社会になってしまった。
 リスクが身近になく、習得できない世界で育っていると、たまにくるリスクに順応できず大怪我しやすい。またちょっとしたリスクでもおそれて尻込みするようになる。やはり、多少怪我しても、経験を積ませた方がいい。
 極端に衛生的な状態にいると病原菌に対する抵抗力がつかなくて感染したときすぐ発病しやすくなってしまうと同じように、人間を弱く弱くしていくことは避けるようにしなければならない。精神的にも、身体能力的にも危険を修得し、対処できる教育プログラムが求められる。