逆転の思想-16-
                水道公論2004年 1月号


 排出量削減の仕組み

 温暖化防止のため、二酸化炭素などの発生量を削減するという人類史上はじめての仕組みが動き出そうとしている。国別の排出量目標、排出権取引、クリーン開発メカニズムなど様々な方策が盛り込まれている。排出権取引、クリーン開発メカニズムなど達成を別の国で行ってもいいという珍しい仕組みである。
 筆者はこれらの仕組みが、削減努力に素直に取り組めない面を持っている気がする。
 第一に、国別に、現状からいくら減らすということが削減の基本であるとすることは、削減努力と次期削減目標の達成難度とがうらはらになることがある。
 二酸化炭素発生量はけっこう漠然としたもののように感ずる。エネルギー使用量についてみると全量エネルギー輸入する国はともかく、生産国は数字を操作しやすい感がある。森林などの吸収もはっきり算定するのは難しい。我が国の場合で、森林吸収など政府資料から計算すると1995年で吸収量は一人当たり約0.8tであった。今回の6%削減の目標では森林吸収増加目標で一人当たり約0.4tであり、5割も増やすこととなる。数字の根拠を変えると別の数字になってしまう。また現状の排出量を大きく計算すれば、削減目標は下げられることになる。一方、今努力すればするほど将来もっと厳しい削減が課せられそうで、いいかげんのところになってしまう感もある。現実に日本のように厳しい省エネの実績がどの程度評価されているのであろうか。
 第二に、国際的な商業主義に飲み込まれそうなことがある。
 温暖化防止は省エネ、エネルギー効率の向上、二酸化炭素吸収方策など、基本的な地道な事業化があってはじめて進む。こういう努力が基本であるが、将来取引価格が高くなりそうだから、先に手を付けておこうなど、商業主義が入り込んでいる。現実に取引所、コンサルタントなど、さまざまな新しいビジネスが生まれている。一国内の取引は、同じ土俵の上でいいが、国際的な取引はなにか変な感じがする。経済力の圧倒的な差から、売ってしまったところは、その後の削減方策実施が難しくなり、将来の経済開発ができなくなるのでないか。
 それではどのようなものがいいのであろうか。
 やはり多くの提案があった、電力kw当たりとか、鉄トン当たりとか、輸送距離トンkm当たりとか、削減目標が示され、達成方策の取り組みに公平感があるものがいい。寒冷地の暖房、一次産業の割合など、標準を出すのが難しいことはあるが。
 今の温暖化防止の枠組みは、現時点で前進するための最善策なのであろうが、いつかの時点で根本から改訂することになるのでないかという気がする。
 地道な努力が確実に進むような枠組みが必要である。