逆転の思想-10-
                水道公論2003年 7月号


 集団性と競争

 人と同じ所を探していたら獲物が捕れないのでできるだけ他人の行かないところに出かけ、他人のしないことを探す狩猟民族。一方灌漑システムの維持管理、害虫駆除など作業を共同で行わないと期待できる収穫が得られない農耕民族。民族のこれまでの歩みが現代の産業社会の思考形態にも影響を与えている気がする。一方狩りでも、大型獣では多数の共同作業が必要だし、きのこ取りではどうしても個人行動が主になり、それほど強い観念ではないかもしれない。
 日本人の集団性は作業を共同して行わなければならない商品生産にはいいが、一つのことに大騒ぎする悪い面がある。ニューヨークに渡った松井選手のリーグ開幕前の取材で二百人もの取材陣が滞在したのを聞くとお金と人材の大いなる浪費を感じるし、海外ブランドの高額なかばんなどが制服のように義務化された感があるのも集団性が現れているように見える。銀座などの主要な表通りで、在来の店が消え、海外ブランドの店がどんどん店を増やしていることから多額のお金が流れているのだろう。
 また高校生はいろいろなスポーツに励んでいるのに、セミプロの世界のような高校野球だけがもてはやされ、試合の状況を知っていなければ日常の会話が進まないようなことなども日本人の集団性を感じる。野球だけにいつもスポットライトが当たっていることは、他のスポーツ分野が注意を払ってもらえない状態にいつもあるということになる。
 家電、光学機器の製品はこれまでいくつものメーカーが同じような製品を競いあってきた。今売れ筋のデジタルカメラでは、もっと増えて多数の光学機器メーカー、家電メーカーが参入している。ちょっとでも気を抜くと追い越されてしまう。しかし、この厳しい競争が製品の品質を世界一にしたと考えられる。
 一方で社員のアイデアで独創的なものが採用されにくく、他社でやっているようだとすぐ号令がかかるという話が多い。他社と同じような事業方針であれば、置いてけぼりにならないだろうという集団性から来ているような気がする。また戦時のように競争相手が見えない世界では革新的アイデアが具体化せず進歩が苦手である。
 護送船団方式が批判されているが、電気機械製品を見ていると、競争に遅れた会社は消えてきている。落後者がないような方式は結局ぬるま湯になるが、そうでなく多くの会社が競争しながら、事業展開していくことは、技術革新も進み、全体としていいことと考える。物づくりも社会の風土に合ったやり方で進めるのが結局は効率よく進むのではないか。
 集団性と多様性をうまく組み合わせた社会常識の形成が求められる