逆転の思想-2-
                水道公論2002年11月号


 競争と規制

 2002年の初め日本株が低迷していた頃、空売りの規制が行われ、それ以来株価の下落が止まった。どうも外国証券会社が大規模に空売りをやって儲けていたらしい。銀行株など特定の企業が集中的にねらい打ちされたようである。アジアの経済危機の発端となったヘッジファンドの通貨の大量空売りとよく似ている。値下がりで利益があると言うことはその分誰かが大きな損をしていることにもなる。
 違反もあったようで外資証券会社が空売りの届けを出していないとして処分されている。ここで面白いのが何日かの営業停止で、罰金でないことである。日本企業がアメリカにおける銅取引の損失など当局に報告を怠った行為に対し、莫大な罰金が課せられたことと対照的である。この場合日本企業は多額の損失を出しているのにである。もし利益を出していたらその分徹底的に徴収されたことだろう。違反の重大さが違うといえばそうかもしれないが、これは我が国の社会システムが社会的な制裁で十分という前提に立っているからではないかと考えたくなる。短期間の営業停止という制裁は、信用がなくなることで、護送船団の企業群の中ではそれだけで利用者も遠ざかり、大きな打撃になる。
 ところが会社の経営を主に考えた場合、いかに営業成績を伸ばすかが大事であって、株主、顧客の利益が主な要素である。競争社会では株主、顧客の利益が大きければ、自己損害のない違反ならやってしまう方に顧客が流れることになる。一時的営業停止などの社会的制裁は公共工事のように全く閉め出される社会ならともかく、一般の顧客は会社の成績が良れば他の会社に流れることはない。
 従って競争社会では損害のない社会的制裁は恐くないことになる。
 グローバル化のもとに競争社会のルールがどんどんはいってくる。これは工事契約でも、縛られないことは発注者の不利益におかまいなくやってしまうことで表れる。
 企業の会計監査システムでも日本のこれまでの会計システムは不透明で、アメリカ方式なら公正に企業の状況が透明化されると耳にたこができるほど至る所のメデイアで宣伝された。
 しかしエンロン、ワールドコムの事件でアメリカもいい加減なことが分かった。どんな会計方式をとろうと、それだけで企業活動が公正さを保つことはできない。
 以上から感ずることは、競争社会では、ばれても処分が軽く損のない違反行為はリスクの低いものであるから二の足を踏むことなくやられてしまい、結局規制の仕組みもこういう世界に見合ったものに変えていく必要がありそうだということである。