下水道情報1653号 平成22年1月12日発行
連載・水辺の散策  −歴史・文化・生活考−
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 プラハのヴルタヴァ川

1,はじめに
 人気のある中欧ツアーの多くは、ブダペスト、ウィーン、プラハを回る。プラハとブタペストの中心市街の配置はよく似ている。南北に流れる大きな川を挟んで、西に王宮、東が繁華街。中心に歴史的な橋がある。お互いに長いこと社会主義国家であったので、街に広告が少なく、クラシックな建物が多く、いい景観を提供している。
2,ヴルタヴァ川 
 オーストリアに近いチェスキークルムルフから北上してきてプラハを経てムニェルニークでラベ川に合流し、その後ドイツに入ってエルベ川になる。ヴルタヴァ川流域は2.8万平方キロで、チェコ国土の3分の1を占める。
カレル橋とプラハ城
 東の塔の展望台から
3,プラハの街
 6世紀後半スラヴ民族がヴルタヴァ川河畔に集落を形成したのが始まりで、1355年に神聖ローマ帝国の16代皇帝になったボヘミヤ出身のカレル4世の時期に、帝国の中心はプラハとなり、プラハ城の拡張や、中欧初の大学、カレル大学の創立、カレル橋の建設とヴルタヴァ川東岸市街地の整備などの都市開発が行われ、最大級の都市にまで急速に発展した。16世紀後半、ルドルフ2世の治世になると、芸術や科学を愛する王の下、プラハに芸術家、錬金術師、占星術師などが集められ、プラハはヨーロッパの文化の中心都市として栄華を極めた。しかし15世紀からハプスブルグ家の皇帝が続き、政治の中心がウィーンに移り、以降プラハは衰退した。
カレル橋と東の塔
 遊覧船から
4,カレル橋
 中心街に架かるヨーロッパに現存する最古の石橋。カール4世の治世下1357年に建設が始まり1400年に完成した。1841年までプラハ旧市街とその周囲をつなぐ唯一の橋であった。橋の長さは516メートルで幅は10メートル。16連のアーチから構成されている。西岸のプラハ城から、同じく歴史的建造物が並ぶ東岸の旧市街広場までの観光コースにあり、歩行者専用で平日なのに相当の人出で、西ヨーロッパ諸国から沢山の人が集まり、大道芸人、お土産の屋台など賑やかであった。
 橋を守るために東と西に塔が建てられている。東の塔は橋の真上にあって、上部に有料の展望台があり、橋と向こうの王宮のいい撮影ポイントになっている。橋の通行路から、小さな入り口があってそこから上がるのだが、入り口に掲示が全くなく、前もってガイドブックなどで知っていないと気がつかない。西側の方は橋を挟んで西洋ににしては珍しく非対称の二つの塔が立っている。
浅い堰
 
橋のすぐ上流に
5,堰など
 橋のすぐ上流には落差数十センチという非常に低い堰が川を30度くらいの斜めに横切っている。西岸には舟運のため幅20mくらいの導水路があり、800mほど上流にある堰まで続いていて途中に閘門が一カ所。堰の東端には建物があり、その下から水が勢いよく流れているので、そこで、水道水の取水ないし製粉などの動力に使われたと思われる。
 カレル橋の西岸下には、小さな分岐された水路があり、小さい川中島になっている。
6,カレル橋の聖人
 橋の欄干には15体ずつ、合計30体の聖人の彫刻が並んでいて、これらの聖人像はもとからでなく17世紀から20世紀前半にかけて設置された。この由来は厳しいものである。罪人を死刑にして川に投げ込むスペースに、キリスト像が置かれ、それがもととなって聖人像の設置が始まったものである。スペイン生まれの聖人フランシスコ・ザビエルの像もあり、カトリックの聖人とされるヤン・ネポムツキー像の基部にあるレリーフに触れると幸運が訪れるといわれ、多くの人に触られたためつるつるになっている。

橋の上の聖人像
 左はフランシスコ・ザビエル
7,プラハ城
 橋の延長上の丘にあり、かつてボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城であった。現在はチェコ共和国の大統領府がある。 
プラハ城には、ゴシック様式の聖ヴィート大聖堂、ロマネスク様式の聖イジー教会の教会堂と修道院、そして宮殿、庭園、尖塔がある。城の建物には国立美術館、国立歴史博物館、おもちゃ博物館、ルドルフ2世の収蔵品をもとにしたプラハ城絵画美術館といったいくつかの博物館が存在する。
8,親切なタクシー運転手のこと
 民主化後、スリなどが入ってきたり、安全とは言えない状況で、タクシーも流しは信用できず高級ホテルから乗るように言われていた。自由行動の日に遊覧船に乗った後、中心街のホテルからタクシーに乗り、街中から少し離れた宿泊ホテルで降りた時、気づかずに財布をタクシーの中に落としてしまった。財布の中には円で1.5万円、チェコ通貨コルナで7千円、カード2枚が入っていた。フロントで聞いたところ、タクシー会社もナンバーも分からないのでは出てこないと言われ、慌ててカードをキャンセル。しかしその日の夜中にフロントから電話があってタクシー運転手が届けに来ているというのである。後に乗った客が気がつかなかったのか、家に帰るまで分からなかったそうで、日本人ではないかというのでホテルに来たとのこと。欧州でもこういう人がいるもので、全コルナを御礼とした。