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1,はじめに 海外の水辺の取材をはじめたのは2005年で、観光ツアーに参加して最初に訪れたところがブダペストであった。中欧のブダペスト、ウイーン、プラハの3都市を中心とするツアーは人気がある。特にブダペスト、プラハは長い間共産圏にあって、経済が停滞し、商業主義に染まっていないので古いものが残り、街の景観も素晴らしいものがある。
ウイーンを出たドナウ川はしばらくハンガリーとスロヴァキアの国境を東に流れ、そののち南下してブタペストに至る。ウイーンとの直線距離は220km。 ドナウ川はヨーロッパ最大の川。かってはローマ帝国の北限かつ防衛線であった。長さ2850kmで本州の2倍以上長く、流域面積は81.5万平方キロと日本の2倍以上。ドイツ南西端のスイス国境近くから流れ出し、ウイーン、ブダペスト、セルビアの首都ベオグラードの中心部を通り、スロヴァキアの首都ブラチスラバ、ブルガリアの首都ブカレストのそばを流れ、黒海に注ぐ。ミュンヘンも流域にある。ところがブダペストの街の中心にあるくさり橋のところではドナウの川幅は350mしかなかった。これほどの大河なのに荒川くらいの感じで狭く、自然環境の違いを大きく感じた。 ドナウ川は相当の内陸を通っているのにマイン川・ライン川とは運河でむすばれており、遠く黒海と北海とをつなぐ交易ルートになっている。ブダペストの北で大きく蛇行しているドナウベンドの山から見下ろす機会があったが、細長い貨物船がひんぱんに通っていた。ブダペストとウイーンの間では春から秋まで水中翼船が毎日1便運航している。ブラスチラバにも寄り、朝の9時発で上りは6時間半、下りは5時間半かかる。
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ハンガリーの国名は5世紀に進出してきたフン族に由来する。現在では混血が進んでいるが、姓が名前の前にきたり、赤ちゃんのお尻の蒙古斑など日本人と共通するところもあるよう。スラブ系マジャール人が10世紀の初めウラル山脈の東から移動。ブダペストに都を建設、交易で発展し、モンゴルの破壊があったものの15世紀には商都として大いに栄えた。しかし、16世紀にオスマントルコが支配、17世紀にはオスマントルコを撃退したハプスブルク家の支配下に入り、19世紀にオーストリア・ハンガリー帝国として自治の一部を回復。二次大戦後ソ連邦の一員になり、ベルリンの壁崩壊と前後して自由化された。 ハンガリーからチェコに至るまで、どこにいってもなだらかな丘陵地帯で広大な農地が広がっていた。こういう地域で戦争があった場合、逃げ場がなく厳しいものになっていたと考えられる
ブダペストは、ドナウ川の西岸で王宮があるブダ、その北でローマ時代の遺跡があるオーブダ、東岸で商業を中心に発展してきたペストと3つの町が合併してできた。 ここでは主要な建築が川の両側にあり、いい景観を作り出している。くさり橋は王宮の丘近くにあり、ブダとペストを最初に結んだ橋。国民的英雄セーチェニ・イシュトバーン伯爵の提唱で10年がかりで1849年完成。二次大戦末期に周辺の橋と一緒に破壊されたが1949年修復。1956年ハンガリー動乱ではソ連の戦車が渡ったとのこと。 王宮の丘には国立の図書館、美術館、歴史博物館になっている王宮、オスマントルコ時代には回教寺院となっていたマーチューシュ教会、漁夫の砦がある。 国会議事堂は川の畔にあるデザインが素晴らしいネオゴシック様式の建物で18世紀末から1902年にかけて建設された。内部も豪華で691もの部屋がある。訪問したときは改装工事中で見学ができなかった。 5,温泉 ハンガリーは温泉国で、なかでもブダペスト市内には100を超す泉源と50近くの浴場がある。遺跡のような温泉から、近代的な温泉まで多種あるとのこと。ただ日本のような大浴場というよりプールのような感じで、体を洗うというような場所ではなさそう。裸でなく水着か、エプロンなどをつけて入る。 参考 ニューラルネットワークを用いたドナウ川の水質解析 J. Comput. Chem. Jpn. Vol.6, No.2, 2007 |