週刊下水道情報1705号 平成24年1月24日発行
連載・水辺の散策  -歴史・文化・生活考-
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 ウィーンのドナウ運河

1,はじめに
 オーストリア湖水地方の方から流れてきたドナウ川はバッハウ渓谷を通り、ウィーンの上流で、本川、新川、ドナウ運河に分かれる。運河は約15キロ流れてまたドナウ川と合流。2010年にツアーの自由時間にドナウ運河のクルーズ船に乗船した。
ドナウ運河
 向こうの道路下には地下鉄U4が走っている
2,クルーズの行程
 乗船場所は2カ所で、リング沿いのシュヴェーデンプラッツ駅近くのドナウ運河と本川のライヒス橋乗船場とであった。ここは地下鉄U1フォルガルテン駅そばで中心市街より東になる。運河上流に本川から入る閘門があったので、そこを経由して往復すると思いライヒス橋から乗船する計画をたてた。
 乗船場にはドナウ川を航行する大型のホテル船が多数停泊していた。ドナウ川には、何日もかけて川を巡るホテル船によるツアーがあり、細長いが百人は収容できるような大型の船が、ブタペスト、ウィーン、ヴァッハウ渓谷、レーゲンスブルグを経て、マイン・ドナウ運河に入り、ニュールンベルグまでも行っている。
 新たな乗船者は殆どいなかったが、船は満員に近く、東洋系は筆者だけのようであった。欧州の観光地はどこも日本人など東洋系が増えているが、主たる所から少しはずれると、あまりいない。
 船の行程が往復と思っていたらそうでなく、はじめドナウ運河を下流に走って、下流の閘門で本川に出て、上流に向かうというものであった。乗船時間はライヒス橋からシュヴェーデンプラッツ駅への北回りで80分、一周は3時間20分。
ギムナジウムになっている船
 名前はSchulschif 中高一貫校
3,沿線の風景
 乗船場を出て、流れが急な薄茶色に濁っているドナウ川を遡って行く。左側は旧市街、右側は国連、高層ビルなどがある新市街。少し行くと右側には公園の緑が広がっていた。そこに大型ホテル船が2隻係留され、船尾近くに建物があるのが目にとまった。この存在が不思議で帰国後調べたら、なんと大学受験のための学校であった。ギムナジウムといい、主に大学進学を希望する子供達のための中高一貫教育校で、授業内容は進学目的によって学校毎に違うようで、欧州の複線型教育システムの表れの一つとされる。ホテル船は寄宿舎なのだろうが、広々とした土地があり、どっしりとした石の建物が主な地域で、学校が不安定な船の上というのは不思議である。季節的に利用されるものならまだ理解できるが。
 まもなく船は市街の北のカーレンベルグの丘の近くに来る。ベートーベンが交響曲田園の構想を練ったところとされ、まさに田園のイメージにぴったりのブドウ畑が広がっている。本川からドナウ運河への水門もここにある。
ドナウ運河入り口の橋
 暗緑色のレトロなデザイン
4,運河のゲート 
 ウィーンには2005年に寄ったことがあり、その時の自由時間で運河最上流のゲートまで訪ねた。ゲート設計者の名前はワグナーで、両脇の柱の上には獅子の像があるレトロなデザイン。すぐそばの橋もレトロであった。ドナウ本流との落差は4~5mもある。
5,閘門
 船はゲート近くの水路に入っていき、そこに1段の閘門があった。船が中に入り、水が抜かれて次第に下がっていく。約4mも低下して下流ゲートが開き船が動き出す。閘門に入ってから出るまでの間15分であったが、けっこう長く感じた。

運河沿いの建物
 奇抜な建物の向こうに清掃工場の煙突
 
6,運河沿い
 河は狭く浅いので、大きくない船の引き波が大きく岸を洗っていた。中心市街地近くになると、煙突など一目でフンデルトヴァッサーのデザインと分かる清掃工場があり、また前衛的な建物も見られた。船は上流に舳先を向けて停泊しなければいけないので少し下流のウィーン川合流点までいって方向転換し、乗船場に遡ってくる。ウィーン川の清流と運河の濁流が混じって、お椀の味噌汁のようであった。
7,本川の堰
 中心市街の少し下流の本川にフロイデナウの堰があり、落差11mの大型発電をしているそうである。これほどの大河なので、まさか堰があるとは考えもつかなかった。そこには大きな閘門があって大型船も通行でき、一周クルーズではここも通る。
 そうであればドナウ運河のゲートのところで4~5mの水位差があってもおかしくない。狭い島国で当然と思っていることが全然違うことがけっこうある。